05.28.13:00 家畜達の恐怖を代弁する!【ヴィーガンと動物愛護、そして時々、霊的真理】と「いのち」とは何か? 霊的視点、霊的視野で探求します リンク集!第9弾!!! |
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※1 ≠は、「ノットイコール」と読み、「同じではない」という意味です。
動物愛護と動物福祉は、つい似た概念のように思ってしまいます。また、動物福祉は、動物愛護という枠の中に含まれるという印象を持つこともあるでしょう。
しかし、この二つは互いに相容れないものです。
なぜなら、動物福祉は、単なる「動物を利用し搾取することを正当化するための言い訳」に過ぎないからです。
「動物の福祉に配慮している」などという畜産業界のコピーは、人々に「動物達からの搾取は減少しつつあり、状況は改善されているのだ」という誤った印象を与えます。
そして、動物性食品を摂取すること※2 に対するハードルを低くすることによって、道徳的、倫理的後ろめたさを麻痺させることを狙っています。
※2 これは、動物達への虐待、殺害を含む畜産プロセスへの積極的参加に他なりません
たとえ多少、動物の福祉が向上したとしても、動物達の権利を無視し、差別し、拘束し、搾取し、殺害しているという現状は何も変わりません。ただただ、それを長引かせるだけです。
もし、「動物の福祉が確保されれば、このような現状を認めて良い」ということになれば、人間でも同じことが許容されることになるでしょう。
つまり、「奴隷制の是認」です。
待遇を改善しさえすれば、奴隷を所有し、これを使役しても何一つ問題はないでしょう。
人間も動物も、尊厳のうちに生存し、幸福を追求する権利を持っていることに変わりはありません。動物の福祉が確保されさえすれば、上記のような現状を認めて良いというのであれば、当然の帰結として、人間でも、これを肯定しなければなりません。
それを認めないのは、合理的理由がないにも拘わらず人間と動物との間の取り扱いに差異を認める差別主義者です。
自分の犬を溺愛する一方で、動物福祉を提唱するペット愛好家などは、恐らく、奴隷制の復活を支持し、奴隷が生産した物品を喜んで購入するのでしょう。テロ集団「イスラム国」構成員が行ったやについても、これを認容するのかも知れません。
囚われの身でいる限り、動物達の幸せは実現できません。単に彼/彼女等の置かれた状況を良くするだけの動物福祉の発想の下では、真の動物の解放はあり得ないからです。
動物愛護≠動物福祉※1
http://duckfoot.blog.fc2.com/blog-entry-333.html「動物虐待」を定義してみましょう。
それは「不必要な理由で動物を殺傷する行為、および、必要な世話を怠る、怪我や病気の治療をせずに放置する、充分な餌や水を与えない等の不作為」です。
では、果たして、畜産はこの動物虐待の定義に該当するのでしょうか。
答えはイエスです。
なぜなら、畜産は人間の生存にとって不必要なものだからです。畜肉がなくても、乳製品、鶏卵がなくても人間は何一つ困ることはありません。それ等なしでも十分健康を維持し、幸せに生きることができるのです。
それにも拘らず、動物達を拘束し、淘汰(殺処分)し、病気怪我をしても放置し、屠殺するのは、「不必要な理由で動物を殺傷すること」でなくて一体何でしょう。
まさに、畜産は、それ自体が虐待行為です。
犬猫虐待のニュースを見聞きし、憤りの感情をお持ちになって「こんなことをするなんて酷い!」と思わず虐待犯を非難してしまう、正義感溢れる(と思い込んでいる)肉食者、動物性食品摂取者の皆様、ご注意下さい。家畜達から「お前が言うな!」と言われますよ?
アナタ方も虐待犯と同じ穴のムジナなのですから。
←動画に飛びます。
畜産=動物虐待
http://duckfoot.blog.fc2.com/blog-entry-336.html肉主霊従から霊主肉従へ!!
本当の生命進化論 [霊性の向上、霊的な進化]
https://muu-rin.blog.ss-blog.jp/2021-01-08福沢諭吉は「人間に上下はない」と言いました。
私たち人間は当時よりも進化しているはずです。
それならば人間だけではなく、すべての生きている生命を尊重する時代になってもおかしくはありません。
それなのになぜ動物や鳥や魚や虫に対して、彼らを食べたり、薬剤の開発に使ったりするのでしょうか。
それらの行為が霊的な摂理に抵触しないとなぜ言い切れるのでしょうか。
こんなことをしていながら愛を大きくすることなどできるはずがありません。
愛が大きくならないということは、霊性が向上しないということだと思います。
最善を尽くせば、誰かが応援してくれます!
[霊的な摂理(大自然の法則)]
https://muu-rin.blog.ss-blog.jp/2021-01-10肉を食べなくなったのは健康のためではありません。
動物を食べることに違和感を覚えたからです。
ペットを膝に乗せて、同じ四つ足の動物の肉を食べていることがおかしいと思い始めたからです。
それでも最初は、ひき肉入りのコロッケなどは「まあ、このくらいは良いか」と思い食べていました。
やがて魚が食べれなくなりました。
お寿司や鰻は大好きだったのに、自分でも不思議なくらいにスパッと食べなくなりました。
シルバーバーチは「責任感」と言っていますが、この頃から彼らを人間と同じ生命として見るようになりました。
「霊としては何も変わらない、同じ霊である。ただ違いは進化の程度だけ」と思い始めたのです。
シルバーバーチの「人間は霊として数百万年、様々な身体に宿って生きてきている」という言葉もスーッと入ってきました。
「いのち」とは何か?
霊的視点、霊的視野で探求します
すべての動く生物には霊と魂が宿っています。人間が他の自ら動く生命を殺傷して食べたり
何かの研究に使用することは明らかに霊的な摂理に抵触します。
感染症は人類への警鐘に過ぎません。
https://muu-rin.blog.ss-blog.jp/archive/c2306194918-1
動く、逃げるということは、明らかに精神が宿っています。
もちろん生命、いのちが宿っています。
私たちが日常で食べている肉や魚には、
それらが宿っていたということです。
本当は生命、いのちにとって、
食物を摂るということは良くないことである、
そう私は思っています。
何も食べずに、飲まずにいるのが、生命、
いのちにとっては最適なのです。
人間は霊であり、その霊が魂をもち、
そして肉体を持ったのが地上の私たち人間なのです。
人間は霊なのです。
食物アレルギーは、それが肉体に現れたものです。
肉体は結果であり、原因は霊魂にあります。
すべての目に見える原因は、見えない霊にある、
これを新しい科学の出発点にしなければ、本当の原因究明はできません。
遠からずそういう科学者が出てくる、私はそう信じています。
https://muu-rin.blog.ss-blog.jp/2021-01-23
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