07.02.13:00 卵について!【ヴィーガンと動物愛護、そして時々、霊的真理】 リンク集!第10弾!!! |
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A農場は、無慈悲な農場です。
食事は一日に古くて痛んだパン100グラム程度を支給するだけです。
住環境も劣悪です。
ギュウ詰めのあばら家はダニ、ノミ、南京虫などがうじゃうじゃ。
もちろん、お風呂もお手洗いも冷暖房もなし。
しかし、労働時間は長く、生産ノルマは厳しい。
達成できないと見せしめのために手足を切断したりします。
平飼い鶏も、卵を産めなくなって「用済み」と判断されると、
業者によって回収され、劣悪な環境に置かれた後、
生きたまま首を切られたり、熱湯に漬けられたりして殺されます。
いまだに鶏卵を食することに執着し、利己的な「口の欲求」を叶えたいがために、言い訳をして「平飼い卵」に逃げているペット愛好家がいらっしゃいます。呆れたものです。
「バタリーケージ飼い」だろうと「平飼い」だろうと、どちらも同じです。いずれの方法で飼育されていようとも、鶏達は畜産業者の搾取の対象、つまり、「奴隷」です。
いい年をして、なぜこのような子供でも理解できる簡単なことが分からないのでしょう。サクッと理解して実践していらっしゃる十代、二十代の若い方々もいらっしゃるというのに……
「長く生きたって何の意味もない」ということなのでしょうか。
最近は、子供に範を示すどころか、逆に、子供達から教えてもらわなければならない未熟な大人が非常に多いような気がします。本当に情けなく、恥ずかしい話です。
以前、ことをお話しました。しかし、この「カポ」もナチス側にしてみれば、単なる「役に立つ便利な奴隷」に過ぎず、使うだけ使って最後には処分していました。
この「カポ」と平飼い鶏は、一体どこがどう違うのでしょうか。
平飼い鶏も散々搾取された挙句、用済みになれば殺されて肉になります(屠殺業者に二束三文で叩き売る場合もあれば、自分の農場で殺して精肉し販売する場合もあります)。
「平飼い卵なら問題ない」と言い訳をして、それを食する人は、この「カポ」も間違いなく問題がないと断言するのでしょう。「囚人の身分なのに待遇が良かったんだから、いいんじゃない?」「劣等人種なのに、いい思いが出来たんでしょ?」と。
是非、自らの意思に反してカポであることを強いられた人々の遺族、子孫の前で、堂々とその考えを披露して頂きたいものです。
再三申し上げますが、「鶏と人間は違う」「家畜は、しょせん家畜」という言い訳は通用しません。それは人種民族差別思想に立脚して絶滅政策を推進したナチスと何も変わらない差別主義者の寝言に過ぎません。寝言は寝てから言うものです。
平飼い卵をご推奨される皆様、そして実際にご購入なさっていらっしゃる皆様、出来るものなら『種差別論』を論破なさって、ご自身の正当性を明らかにしてみて下さい。私は皆様のご高説を心より拝聴したいと常々考えているのです。
ここで、自分の卑しい食の欲望のためなら、他の存在がどんなに恐怖を味わおうと、苦痛に苛(さいな)まれようと知ったことではないという利己的な差別主義者には、次の提案をいたしましょう:
ご自分の卵を召し上がってはいかがでしょうか?「ご自分の卵」とは、つまり「生理」です。鶏卵も鶏の生理なのですから、自分の卵であろうと鶏のそれであろうと大した違いはないでしょう。
これですと、鶏卵を買いに行く手間も省けますし、お金も使わずに済みます。何よりも、鶏達に一切迷惑が掛かることがありません。良いことづくめではないですか。
“
女性の生理は食べないのに、鶏のそれはなぜ食べるの?
引用:”
他の存在の苦しみの上に自らの幸せを築くことは絶対に出来ません。
とんだ心得違いをしている人間、特に自らの愛玩動物を溺愛する一方で平飼い卵を推奨したり、いわゆる「アニマルウェルフェアに配慮した」畜肉を購入したりしている人間は、大いなる負債を日々刻刻と積み上げて行きます。
何故なら、自分のペットを愛することが出来るほど魂を進化させた人間が、他の動物を蔑(ないがし)ろにするということは、「悪いと知りつつ敢えて行為する」ことに他ならず、霊的な罪は非常に重いと言えるからです。
そのような人間には、自ら積み上げた負債を返済する日が必ず到来します。返済の猶予は許可されません。誰一人負債から逃れることは出来ません。「知らなかった」という言い訳は一切通用しないのです。
それが神の法の適用というものです。
すべての鶏卵にNO !
http://duckfoot.blog.fc2.com/blog-entry-339.html『もっちい駅長は、震災後、臆病になり抱っこを嫌がるようになり、
帽子をかぶることができなくなりました。
また、大きい音声にとても敏感です。
2010年に生まれ年老いてきました。
ストレスにならないよう日常のありのまま見守って下さるよう、
ご理解ご協力お願い申し上げます。』
もっちい駅長は震災に遭遇し、
PTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)
になったのです。
これは、 自然災害、火事、事故、
暴力や犯罪被害などによる強烈なショック体験、
強度の精神的ストレスが原因となって、心がダメージを受け、
時間が経過しても、その経験に対して強い恐怖を感じる心の病です。
動物達の心は、私達のそれと何も変わるところはありません。
私達の心が傷つくのであれば、動物達の心も同様に傷つくのです。
このような繊細な心を持ったウサギ、牛、馬、豚そして鶏達を、
私達は、不衛生な薄暗く狭い場所に閉じ込めて虐待し、
最後は、このように殺して精肉し、口に運んでいるのです。
私達は、取り返しのつかない大きな間違いを犯しているのではないでしょうか。
http://duckfoot.blog.fc2.com/blog-entry-345.html
人に対しては認められないことが、なぜ、動物に対して許容されているのでしょうか。
それは、現状、この社会で畜産が広く行われ、種による差別が許容されているからです。
「動物達が可哀相(かわいそう)だ」と思いながらも、頬かむりをして、お肉、卵、乳製品を毎日のように摂取している人々が大勢いるでしょう?
ちょうど、本当は歩行者は赤信号を無視して横断歩道を渡ってはいけないのに、ほとんどの人が信号が青だろうと赤だろうとお構いなしに渡っているのと同じことです。
「皆がやっているから」「社会がそれを許容しているから」という思いが規範のハードルを低くし、乗り越えやすくしているのです。
動物性食品の摂取の場合でも同じことが言えます。
「畜産は残酷だ」「悪いことだ」と思いながらも、畜産製品を食するのは、皆がそうしているから、社会が種による差別を認め、畜産を支持しているからです。悪いこと、間違っていることでも、皆でやれば平気なのです。
私達は、このような、「種による差別を土台とする畜産システム」を許容している、誤った社会のあり方を突き崩して行かねばなりません。
合理的理由のない差別は、絶対的に悪なのですから。
もし、人に対する差別が許されないのなら(←当然そのように考えられています)、種による差別も許されてはなりません。「人産」が認められないのならば、畜産もやってはいけないのです。
社会で行われていることが正しいとは限りません。裏口入学、犯罪の揉み消し、いじめ、各種ハラスメント、児童虐待……これ等は、社会で行われていますが、悪いことです。畜産も、間違いなくその一つなのです。
http://duckfoot.blog.fc2.com/blog-entry-327.html
ヒトラーと「アイツ」と私達
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